志賀直哉「濠端の住まい」

ようやく、志賀直哉の短編小説を読破。全体的に時代が古いので、すんなり理解できない箇所もありましたが、それでも所々に、はっとさせられる表現がありました。「小僧の神様」や「城の崎にて」が、あまりにも有名すぎるのですが、それ以外にも面白い話がいくつもありました。なかでも「濠端の住まい」の描写が、非常に鮮やかでした。

志賀直哉「小僧の神様・城の崎にて(新潮文庫)」より
短編「濠端(ほりばた)の住まい」

(志賀直哉の松江での生活の回想。のんびりした田舎の生活。隣の夫婦は養鶏を営んでいた。志賀は鶏の様子を愉快に眺める。ある夜、隣の夫婦の鶏小屋が猫に襲われ、母鶏が雛をかばい喰われてしまう。次の夜、猫は罠に捕まる。夫婦は翌朝、罠ごと水に沈めるつもりである。志賀は、夜中に箱の中で暴れ嘆願する猫の鳴き声を聞き、できれば助けてやりたいと考える。その一方、それが出来ない自分に気づく。)

然し、事実はそれに対し、私は何事も出来なかった。指一つ加えられない事のような気がするのだ。こう云う場合私はどうすればいいかを知らない。雛も可哀想だし母鶏も可哀そうだ。そしてそう云う不幸を作り出した猫もこう捕えられて見ると可哀そうでならなくなる。しかも隣の夫婦にすれば、この猫を生かして置けないのは余りに当然なことなので、私の猫に対する気持が実際、事に働きかけて行くべくは、其処に些の余地もないように思われた。私は黙ってそれを観ているより仕方がない。それを私は自分の無慈悲からとは考えなかった。若し無慈悲とすれば神の無慈悲がこう云うものであろうと思えた。神でもない人間--自由意志を持った人間が神のように無慈悲にそれを傍観していたという点で或いは非難されれば非難されるのだが、私としてはその成行きが不可抗な運命のように感ぜられ、一指を加える気もしなかった。

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by yt_iris | 2010-01-23 23:59 | Comments(0)

"I'd just be the catcher in the rye and all."


by yt_iris